偶像として生きる人へ:27歳に寄せて
何を書くべきか考えあぐねて、12月3日、金曜日を迎えようとしています。
まずは京本大我さん。12月3日。人間歴27年目。おめでとうございます。
大我さんの物事への向き合いかたがとても好きです。たぶん。
たぶんと言うのは、私は結局表出している大我さんしか知り得なくて、その裏にどんな葛藤があるのか、どんな喜びがあるのか、一生知り得ることはないからです。
パフォーマンスをする大我さん。バラエティやYouTubeの"愛くるしい"大我さん。舞台上で役を憑依させる大我さん 。
大我さんを見ていると、人間存在の複雑さを思うことがあります。
人間は、ある人の前では横暴になり、ある人の前ではへつらい、ある人の前では甘え、何とも食えないものだなあ、と思います。
そんな中でも真っ直ぐに生きていくのって大変だなあ、とも。
そして人間はきっと、偶像の前には平伏すか、誓いを立てるか、すがるか。あるいはその偶像の権威を笠に振る舞うかもしれません。
アイドルとしての決意が固まってから今日を迎えるまでずっと大我さんが偶像として生きていることに、尊敬の念を禁じ得ません。
人間は、何かを為さんとして心折れてしまうことだってたくさんあります。心折れて別の道へ行っても、自分の人生だから、他人には何の問題もない。けれど、それでもアイドルとして生きることを選んだ大我さんを、純粋にすごいと思います。
人から求められることは、大きな喜びもありながら、ときに重荷で、「なぜ人は私にもっとと求めるのだろうか」と懊悩することもあります。
小市民の私がそうなのだから、より多くの人々の眼前にその身を晒す大我さんは尚更のことでしょう。
多くの人が助けや癒しを求めたり、そこから勇気を得たり、偶像というのはとかく人に与え続けるものだと思うのです。
人に求められる"京本大我"をずっと更新し続ける。アスリートのようだとも、聖人のようだとも思います。
書きながら、頭のなかが万華鏡じみてきました。本体はひとつしかないのに、鏡の反射によってまるで永遠のように続く無限の世界。くるりと廻せばまた違う一面を見せる。
大我さんの1年が、いや、もっと先まで、たくさんの可能性が無限に続きますように。