Pray through music

すとーんずにはまった元バンギャの雑記。

尊厳をめぐってーひとりのジャニオタとして考えること

死者はことばを持たない。だから、反論も肯定もできない。

 

死者はただ、土の中で眠っている。

死者がものを言わないのであれば、死者の尊厳は誰が守るのだろうか。云うまでもなく、生者である。

そして、死者の尊厳を守ることは、生者の尊厳を守ることと同義ではないかと、私は考えている。

 

私はジャニーさんを直接知っているわけではないから、今日報道されているようなことをほんとうにジャニーさんがしていたのか、知る由もない。ただ私がわかるのは、自分がジャニオタになったと自覚する前だって、ジャニーズのエンタメはずっと傍にあったということだ。

子どもの頃、『うたばん』で中居くんとゲストの掛け合いを観るのが毎週の楽しみだった。『学校へ行こう』で行われていたゲームを真似してクラスメイトと遊んだ。ファンクラブなるものがあることも知らなかった頃、KAT-TUNが歌番組に出ていると知れば必ずチャンネルを廻していた。

つまり、自覚的であるかどうかはともかく、ジャニーズはあまりにも自然に、生活のうちにあった。

 

また、私の場合、きれいな男の子たちに憧れがあったのだと思う。

高校を卒業する頃まで、私服でスカートを履いたことがほとんどなかった。お年玉で買ったスカートを「変な色」と鼻で笑われ、教師から褒められた作文を見せれば「字が汚くて読めない」と言われた子ども時代。ジャニーズは、ヴィジュアル系とともに、私にとっての慰謝だった。

素敵になりたいと願うと否定される。小さな世界の異物である私は、マスでは異端扱いされていたヴィジュアル系と、マスで受け入れられつつ否定もされるジャニーズに慰められていたのだと思う。

 

その一方であるジャニーズをつくりあげたのは、紛れもなくジャニーさんだ。それだけが、私の知りうる"事実"だ。

だから私はジャニーさんを悼んでいる。私の灰色の世界に色を与えたジャニーさんに感謝している。ジャニーさんを悼む私の尊厳も、報道によって削り取られているように感じる。

 

過熱するバッシングは、ジュリーさんやジャニーズのタレントたちを疲弊させている。光一くんのブログ、河合くんの涙、降板させられるCM、矢面に立ち続ける彼らの心労いかばかりか。

被害にあったと主張する人たちの尊厳も守られるべきだろう。ただ、事務所の社員やタレントたちの尊厳は守られなくて良いのだろうか。

 

もちろん実際にジャニーさんが今日報道されているようなことをしていたのであれば、それは裁かれるべきである。ただし、それは現在のメディアを使った私刑のような形ではなく、司法によって行われるべきだと考える。

日本は法治国家である。法がすべてを解決するわけではないが、この泥沼のような争いに一定の落としどころをつけるのが法である。法によって出た判決に異論があれば、控訴することだってできる。

 

ジャニーさんによって尊厳を毀損されたと思うのであれば、被害者を名乗る人々はなおさら司法に訴えでるべきだと、私は考える。

 

ただ私は、ジャニーさんがつくりあげたエンターテイメントをなんの気兼ねなく尊びたい、それだけを冀っている。