Pray through music

すとーんずにはまった元バンギャの雑記。

ヴィジュアル系の夜から、ジャニーズの畔に

音楽文のサービスが終わるので、以前書いたものをブログに残します。

2021/2/9に音楽文に掲載されたものです。

 

ヴィジュアル系の夜から、ジャニーズの畔
Moranに背中を押されて、SixTONESの懐へ
2021年2月9日

 


2015年7月。Moranのラストシングル「夜明けを前に」(レーベル:SPEED DISK)がリリースされた。

あの頃私は電車が1時間に1本しかない片田舎で、それなりに幸せな大学生だったと思う。学ぶことは楽しい。大好きな作家のことばを読み解いて、同時代の出来事を調べて、空気感を理解した気になって、読みの浅さに落ち込んで。毎日が残されたことばに向き合う日々だった。
けれど、田舎特有の鬱屈。
バイト先にはうちの4代前のお爺さんの名前まで知っている、5軒先の奥さんが勤めている。お客様は中学の同級生。
探している本は、電車で2時間はかかる図書館にしかない。図書館で目当ての本を借りて、カフェになだれ込んで行くのが19時。
22時には終電車が出てしまう。とりあえず1冊、1回読み通せれば上々の日だ。大概は大学の課題に関わりそうな部分をピックアップするだけで、あっという間に時が来る。
ようやく最寄り駅に着いたら、近くのパーキングに置いていた車に乗り込み、20分車を走らせてようよう家にたどり着く。
ずるずるとたどり着いた先にも、私をずっと知っている世界しかないような気がして、未来は空虚なものだった。

そんな日常の中で、Moranは輝いていた。ずっとボーカルのHitomiさんの声にすがり付いていた。
Hitomiさんは、心の鬱屈した場所をそっと包み込んで、慰めてくれるような気がしていた。
本を借りるという大義にかこつけて、Moranのライブに足を運んだ。

そんな中での解散発表、ラストシングルのリリース。

田舎の夜は暗い。街頭は、家に近づいていくに連れて間隔が開いていく。駅のそばにはぽつり、ぽつりと並んでいたのが、信号を2つ越えると、ふっと底が見えないほどの間隔になる。
ヘッドライトに照らされているから、先は見えるのだけれど、言い知れない暗さに、まるで未来を見ているような感傷に浸っていた。
ああ、この道が、たぶん未来なんだと。
暗くてよくわからないけれど、きっとすでに知り尽くしてしまったようなこの道を行くようなものなんだ。

リリースにあたって、Hitomiさんはインタビューにこう答えている。
「(前略)闇の中に光を照らすことを肯定的に歌うバンドが多いのに対して、Moranは光によって暴かれてしまうものを闇をもって包み隠して守ってあげたいというコンセプトで作品を作ってきたバンドなんです。マジョリティではなくマイノリティの子たちに響くものをというスタンスで活動してきたので、みんながMoranを失ってしまうとき、“その子たちに自分たちがしてあげることって何だろう”って。不安だったり、怯えているコたちを少しでも勇気づけてあげられる歌詞を最後に書きたかった。これから夜が明けてしまうけど、怯えないでほしいって。」(ViSULOG 2015年7月7日掲載)

はじめは、よく分からなかった。
私の鬱屈を包み込んで、それでもどうにか生きることを優しく肯定してくれていた彼らの、これが最後と思いたくなかった。
じわじわと近づく解散の日。最後のライブに立ち会うべきなのか。発表されてから、チケットが発売されてからも迷って迷って、もうMoranの音楽には触れられないのだからと、どうにかしてチケットを買った。

端的に言えば、ライブは寂しかった。
もちろん楽しかったのだ。大好きな音楽で、その空間でしか味わい得ない高揚感。Soanさんの煽り。Siznaさんのソロ。Ivyさんのベースの響く音。viviくんの奏でるギター。フロアが一体化したようなフリ。

でも、終わりは時間が連れてきてしまう。一曲、一曲、そらで歌えるようになったあの曲もこの曲も通りすぎて、ライブは幕を閉じた。

友人に電話をかけて泣きじゃくりながら一路ホテルに向かう。あー、きょうは電車に間に合わないだろうって、宿泊予約しておいて良かった。淋しさを紛らわすためにそんなことを嘯いて、ライブの情景を思いだし、やっとの思いで道を歩いた。

それからずっと、Hitomiさんのインタビューのことを考えていた。夜が明けるのはいつなんだろう。
音楽に深入りしたら、辛いことが待っているじゃないか。もう、解散するとか脱退するとか、見たくない。音楽に深入りしないで、好きなものを浅く聴いていこう。

以来、中学生の頃に部活で取り組んでいた吹奏楽の楽曲や、友達に進められた曲は聴いていたものの、ライブに行こうという熱は失くなってしまっていた。

ところが2019年の年の瀬。
SixTONESに出会ってしまった。きっかけはTVCM。彼らのデビュー曲が流れてきた。
何となく気になる。調べると、YOSHIKIさんが楽曲提供している。ただその時は、それだけだった。
気にはなるけれど、社会人になってジャニーズにハマる?と、自分のアンテナを無理やりねじ曲げた。

それが愚かだと気づいたのは、2ndシングルの音楽番組でのパフォーマンス。力強く歌う彼らの声。見せ方。
もしかしたら、Moranとは違うけれど、包み込んでくれるのかもしれない。
発売から少し経って、彼らのCDを手にした。

久しぶりの、誰に進められたわけでもない、元々傍にあったのでもない音楽。彼らの音楽は私の家に招き入れられた。否、私が彼らの音楽に招き入れられたのかもしれない。

彼らの音楽は、前に進むことを歌うものではあるけれど、でもそれは暗闇にいる自分を否定するものではなかった。
そもそもが生きる意味を問うところが1stシングルなのだ。それは明るいところにいる人間にも、薄暗い部屋の隅にいる人間にも等しく突きつけられた命題だろう。
2ndシングルでは視点の変換を求め、3rdシングルではそこから新しい時代へと一緒に進もうとする。

彼らは音楽を通して、人間ひとりひとりの生死に寄り添っている。


暗がりの中で未来を諦めていた私は、5年も経って、Hitomiさんのことばをようやく咀嚼できたのだ。
いつか人はいなくなる。けれどそれは自然の摂理で、だからこそ朝の陽射しを受け入れるために準備をしなくてはいけない。

朝は怖い。けれど目を開ければ案外なんてことない日がくるのだ。
そして窓を開ければ、一緒に前に向かう人だって向こうから歩いてくるのかもしれない。


音楽は、祈りだ。

世界にある暗闇をそっと包み込んで、陽射しを与え、人を支える。
そっと私を守り続けてくれたMoranの音楽に耳を傾けながら眠りについて、私の扉を開けてくれたSixTONESの音楽とともに街を行こう。

私は、生きている限り、祈りを抱いていこう。
私も誰かを支える祈りになれるよう、明日、生きていこう。

世界がある限り、きっと、ずっと音楽は続いていくのだ。