変わらないこと、変わること。
変わらないことに価値を置く大我さんが好き。
今月の雑誌で、「10年前に好きだったもの、今も好き?」って10年後の自分に問いかけてたところが好き。
BOURGEOIS vol.5の「10年後の自分へ」のメッセージでこう言ってるのを思い出しちゃった。
10年後の僕はまだ歌い続けていますか。自分と同世代の人が抜群に伸びて歌っていると、歌なんて辞めちまおうと思う日が山程あるけど、負けることなくステージに立っているか。お世話になっている憧れの先輩方のように、後輩にどこまでも優しく、自分にはどこまでも厳しく生きているか。己の心に潜む、数え切れぬ弱さと向き合い、どうか強く生き続けてください。
きっと大我さんの「変わらない」ところは、「変わり続ける」からこそ必要なことなんだろうなって思う。
人間は、眼にしているものが不変でも、そのときの心の状態で見方を変えてしまう。
でも大我さんは、ずっと子どものような情熱を持って、自分に向き合う覚悟を持っている。
なにが変わって、なにが変わらないか。ずっと自分のことを見続けなかったら、そんなことはわからない。
変わるために変わらないこと。
曲のイメージによってヘアスタイルを変えると言った大我さん。
音楽を視覚の面からもより良くするために、自分を表現の器として使う大我さん。
そして音楽を飲み込んで、自分がその音楽になっていくみたいな大我さんが好き。
器は料理に一番似合うものが選ばれるように、自分がどの器であるべきか意識してるんだろうなって思えるところが好き。
メンバーに対しても、もしかしたら大我さんは器なのかな、って思う。
樹くんは大我さんのことを、ホメホメ聖徳太子のときに「甘えるのも甘えられるのもうまい」って評した。
これは地味にすごいことだと思う。
相手の求める自分が今、どういう存在なのかをわかってないとできない。
「甘えられる」タイミングや受け入れかたはもちろんだけど、「甘える」はもっと難しい。相手に信頼される人間である上で、相手が「甘えても良い」ないし「甘えてほしい」ってときじゃなければ、ただ未熟者として評価されることすらある。
相手の心の状態にあわせて、自分の形を変えないとできない。
だから、大我さんの「変わらない」ことの一部は、それが音楽でも人間でも、相手にあわせて柔軟に自分を変え続けられる、その柔らかな精神なんだと思う。
FINEBOYS plus BEAUTYで言っていた、「寛容でありたい」ということも、この柔らかな精神のことなのかな?って思う。(雑記記事でぼんやり書いたこととはちょっとずれたかもしれないけど、過去記事もお暇があれば)
未完成な人間だという自覚、そして自分の中にこれだけは絶対に譲れないという熱いものを持っておけば、人に寛容になれると思うんです。
柔軟な寛容さと芯のとおった自覚。「顔つきがやさしく変わってきた」ことに喜びを感じる大我さんが、変わらない熱い想いの話をしているのが好き。
そして、
デビューしたくないと言った大我さんが、「デビュー後の世界は想像してたよりも素敵なものだった」
と思えた世界が好き。
現実はきっと、大我さんの心を健やかに包み込んでくれることばかりではないけれど、それでもそう言えるくらいの環境があること。
大我さんの、そしてSixTONES全員の在り方がそうさせているんだと思うと、SixTONESはこの世界をつくる人たちなんだなって思える。
大我さんの芯の部分が「変わらない」で、一生音楽と添い遂げられる世界が続くと良いな。