Pray through music

すとーんずにはまった元バンギャの雑記。

大我さんの『癒えない』に助けてもらったって話

※暗い話する。私は本質的に暗いんだと思う。

 

大我さんのソロが聴きたい。
京ジェのふたりのアルバムも、いつか出たら欲しいし、ライブだって絶対チケットをもぎ取りたい。

何で自分がこんなに大我さんに執着してるんだろう、って思ったけど、やっぱり『癒えない』だろう。

 

歌番組でSixTONESをたまたま見て惹かれて、YouTubeを検索してストチューブを視聴して、関連動画で『癒えない』があがっていて、何の気なしに押してしまった。

 

ああ、私、この人が好き。

 

何度も観た。何度も。もしこれがビデオなら擦りきれるくらい。

 

昏かった。知ってるジャニーズじゃなかった。私の知っているジャニーズは(KAT-TUNを除いて)キラキラの擬人化みたいな人たちだった。KAT-TUNはギラギラの擬人化。

 

ファンブログで、大我さん自身の解説をまとめているものを読んだ。

読んで、やっぱりこの曲は絶望を象った希望の歌なんだって思った。

 

『癒えない』を歌う大我さんに出会った頃、私は擦りきれてたと思う。しごとに振り回されて動悸がしていて、そこにいるのすら、息をしてるのすら辛すぎて、2時間お手洗いに篭って泣いてたり、不安で一睡もできないで40時間ぶっ通しで起きててしごとしてたり、滅茶苦茶だった。

会社帰りのタクシーのライトが綺麗で、あー今ならきっと痛くない、こんなに明るい光に引かれても痛くないって車道に一歩踏み出しそうになって、はっとして、今死んだら周りに迷惑がかかるって道ばたにしゃがんで白い目で見られてた日とか、ストールのグレーが濃くなっていくのを、立ち上がれるまでじっと見てた。

 

「光はどこだ?」ってスタンドを、光を振り回す大我さんに、もがく人を表現する大我さんに救ってもらった。

私の光がここにあるって、無意識に理解したんだと思う。

 

もちろん大我さんは暗い一辺倒の人じゃないし、聖人のような微笑を湛えているときの大我さんも好き。

ヒルちゃんみたいな顔で驚いてたり、他人から見て不思議なんだろうなってことをやったりするのも。

 

 

今、私はしごとに殺されそうになるんじゃなくて、うまくしごとを御したいと思ってる。

でもやっぱり、少しでもキャパを超えると、ああ、開放厳禁のあの窓から身を乗り出したいな、青空が眩しいから今なら飛べるのかな、って危険思想が顔を出す。

ごはんを食べる時間が惜しくてしごとして、1週間で3キロ落ちたとか、リバウンドまっしぐら。

上司に「しごとは大事だけれど、あなた自身をもっと大切にしなさい」って諭される。

 

危険思想に染まりかけて、ああ、『癒えない』を聴きたいな、と思う。「光はどこだ?」ともがく人。わずかな嫉妬とともに、「覚悟をため込んだ毒を 飲み込むその仕草」を見て苦しくなる人。

歌詞の終盤では

賢さをただ従順さを
必要とされたら もう用はない
また傷口が開く前に
この心触れれば まだ熱は残っている

抗う意志をじわりと滲ませる人。

 

この闘う精神が、私に希望を抱かせるんだろう。私を大切にするとは、つまるところこういうところなのかもしれない。

この歌を思い出すと、私も抗う心を持ちたい、ってちょっとだけ立ち上がろうとすることができる。

 

これは決意を固めた人の歌なんだろう。きっと。光源はいくつもあるけれど、そのなかの一筋を掴もうとしてもがく歌なんだろう。

大我さんは求めて止まない光を、いまどの程度掴んでるんだろう。

 

できることなら、いつか、『癒えない』の続きを聴きたい。