文学好きなこじらせ田舎者の自分がたりと、大我さんについて考えていること。
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ご覧いただきありがとうございます。
この記事は、しがない京本担が自分がたりをするだけの記事です。暗い。
OneSTのレポをみて幸せになる今日この頃です。落選してるのでおとなしくおうち待機。
本題
私のはなしはすっ飛ばしていただいて、大我さんについて考えていることを読んでもらえれば良いのかなあ、と思ったりします。
私が反抗したかったことのはなし
私は大学で文学を学び、「あー、もうちょっとこの作品と付き合いたいな。」と思って、大学院修士課程に進みました。
できれば博士も行きたかったけど、経済的理由と自分の能力の低さに限界を感じたことを理由に断念。
今は文学と近くも遠くもないしごとをしています。
当時取り組んでいたのは日本現代文学で、特に安部公房『他人の顔』(「群像」1964年1月号初出)の登場人物である主人公の妻の再評価を試みていました。
『他人の顔』のおよその筋は下記のとおり。
主人公である「ぼく」は、勤務先での事故によって顔中にケロイド瘢痕が残り、顔を包帯で覆って生活していた。
自分の顔を失ってしまったことで、妻とのコミュニケーションもうまくいかなくなり、周囲の目も異常に気にするようになってしまう。
主人公は表情を変えられるような精巧な仮面をつくって他人になりすまし、妻を誘惑する。
やがて主人公は、「ぼく」という夫がありながら仮面と密通する妻を信じられなくなり、仮面ー妻ー「ぼく」の三角関係に思い悩む。
そして「ぼく」はこの関係を終わらせるために、すべてを記した手記を残す。
その手記を読んだ妻は、一枚の手紙を残す。
すべてがわかっていたうえで、夫の行動に付き合っていたのだと。そして、夫もすべて見抜かれていると理解した上でこの不倫のような関係を続けているのだと思っていたと。
そして、それが誤りだとわかった妻は夫に失望し、失踪することを選択する。
「ぼく」は失踪した妻を襲うために空気拳銃を手にし、街に繰り出していく。
当時の私は、よく引用されている論文で「夫の弱さを引き受けなかった妻は卑怯である」といった旨のことが書かれていたことに憤って、妻の正当性を示し「ぼく」のずるさを暴くために根拠を積み上げていました。
たぶん、今になって思うと、夫のずるさや何やかやよりも、私を取り巻く小さな世界への反抗をしたかったのだと思います。
田舎町で生きる閉塞感、自分が女であるということに対する閉塞感、きょうだいに対する嫉妬心と母親に逆らえない自分への苛立ち。
私の田舎がたまたま閉鎖的なだけだったのかもしれない。実家から1キロ圏内の家庭はみんなお互いの家族構成もしごとも、何なら昨日の夫婦喧嘩の内容までも知ってるような田舎だったから。
通っていた高校で大学に行く同級生は、私を入れて全部で20人もいなかった。専門や短大に行く子が40人くらい。あとはみんな就職。
家政学校の流れを汲む、田舎の端っこの公立女子高。地元で就職して、若いうちに結婚して、なんて未来の方がよっぽど現実的な田舎に生きていました。
大学に入ったら、いろんな地域の子たちがいて。その子たちと話していると、見えているものがまったく違うと思いました。
みんなは受験の滑り止めに私立をうけさせてもらえていたし、仮面浪人を許されている子もいた。もちろん、私だって大学にいくのを許された時点でかなりラッキーなんだな、と今では思えるけれど、その当時の私が私立受験をさせてもらえた子たちを羨んでいたのは事実です。
また、自分のきょうだいに対しても、羨ましいという感情しかありませんでした。
私の姉と弟は、高校受験でさえ私立を滑り止めとして受験させてもらえた。けれど、私立受験は私にだけ許されなくて、高校も大学も国公立一本勝負。私は親にとっていらない子なのかな、でも体面に関わるから高校と大学に行かせてもらえたのかな、と悩んだりしました。
そんな私にとって、文学は自分を自由にさせてくれるもので。誰の罵声も、文学が遠くに追いやってくれたし、自分の醜い嫉妬心も、すべて文学研究で浄化されていくような気がしました。
修士課程への進学ですら、そうした環境への反抗心と承認欲求によるものだったのかもしれない。
あなたが疎外した娘は、あなたの愛している姉や弟よりもずっと頑張ったんだって認めてほしかったのかもしれない。
役立たずで不器用で愛嬌のない子だって、ずっと母親に言われていました。
私の姉は学校の人気者だったし、弟は部活で全国大会にも行ったような人間だったし、そこと比較すると、確かに私は役立たずだし、親が自慢できるアクセサリーじゃなかったのかもしれない。
じゃあ不器用な私ができることは何か。勉強して、突き詰めていくことだけ。
人は文学によって何をあらわし、何を受け止め、何を残していくのか。
私はたぶん、文学を学ぶことによって、自分の置かれた環境に反抗したかった。
社会人になってから京本担になるまで
そんなわけでこじらせていた私は、大学院の修士課程を修了し、社会人になりました。
社会人になって東京に出て来て、ああなんて広いんだろう、と思った。
道は田舎の方が広いし、独り暮らしの部屋より実家の自室の方が広いし、満員電車に毎日乗るなんて田舎にいたころは考えられませんでした。
物理的には窮屈だけれど、誰も私を縛らない。私のことを知っているのは、バンギャルの友人と会社の人、それからそのときの彼氏くらい。
三四郎よろしく「東京がどこまで行っても終わらない」なんて思いながら、ようやく息が出来た気がしました。
それから少ししてSixTONESを知って。
まずはパフォーマンス力の高さに驚き、もっと知りたいと思ってyoutubeを漁りました。
そしていくつも動画を観ていくうちに、大我さんにズドンしてしまった。
一見すると自由な言動、愛くるしい動き、うつくしい手足の使い方。
そしてそのまま大我さんについて調べるうちに、「この人はすごい人なのかもしれない」と思うようになりました。
大我さんについて考えていること
大我さんの家庭環境は私とはまったく逆ですが、羨ましいとかそういう感情は湧いてきませんでした。むしろ、その環境にあることで縛られてしまうことも多かっただろうと。
田舎ではそのコミュニティの狭さから「◯◯さんちの子ども」と特定されてしまう。近所のお婆さんが私の曾祖父の名前をあげて、私のことを「◯◯のひ孫」と呼んだときには、吐き気が込み上げてきました。
大我さんは東京の人ですが、父が偉大な人である故に「京本政樹の息子」と特定されてしまう。
つまり、大我さんにとっては、日本全国という途方もなく広いエリアが田舎の小さなコミュニティになってしまう。
大我さんはそれを逆手にとれる芸能人という職業を選択しています。
もちろん、きっかけはそんなことではないのは百も承知です。
でも私は思うのです。大我さんの行っていることは、日本全国への大いなる反抗ではないか。
このコミュニティにある自分と、狭い日本との対比。父親の名によって認識されることへの反抗。
そして、自分を認めさせるための行動。
ダンスがしなやかで、磨いた歌声は天下一品。天然とも思える言動を放ち、自分に注目させる術を知っている大我さん。
そのすべてが、たまらなく好きです。
自分を認めさせるためには、自分を研磨していく必要がある。でも研磨しただけではいけない。自分に目を止めてもらえなければ、いくら自己を磨いたって努力は泡になってしまう。
それを心からわかっていて、実行する姿が好き。
ジャニーさんに「髪に頼っている」と言われて衝動的に切ったエピソードも好きです。
それが自分の髪であっても、何にも頼らず、自分の足で立つことを選んでいることを端的にあらわしているみたいで。
そして、最近のFINEBOYS plus beautyで「寛容であれたら良い」と願う大我さんに、反抗期の終わりを感じて、じんわり心があたたかくなる。
自己を研磨し続けることは止めないけれど、ほんの少し、狭いコミュニティから脱出できているのかな、と思うのです。
生きやすい世界に生きていてほしい。
大我さんの変化が何によってもたらされたのか、私は知らないし、これからも知ることはないでしょう。
でもきっと、SixTONESの6人とSONYのスタッフさん、ニッポン放送の方、……と、「京本大我」を「京本大我」として認識する人が増えたことも、変化の一因なんだろうなと思います。
私は東京に出て来て、田舎にいたころの息苦しさを忘れて生きてるって感じます。東京が、どこまで行っても終わらない。
誰かにとっての付属物ではなく、私が私として認識されることがこんなに良いことだって知らなかった。
環境はちがえど、大我さんも同じような自由を噛み締めているのかな、って少しだけ思うのです。
これからもっと「京本大我」を認識する人が増えていくだろうし、その結果、世界はきっと狭いコミュニティではなくなっていくでしょう。大我さんにとってもっともっと息のしやすい世界になっていけば良いなあと思いながら、私はきょうもSixTONESの音楽を聴いて生きていきます。