Pray through music

すとーんずにはまった元バンギャの雑記。

ウチとソト/ハレとケとケガレ/ファンアートと転載と濁酒。

どぶろくってご存知ですか。 私は呑んだことがないので味は知らないのですが、概念として。とりあえずここでは自家醸造の酒=どぶろくという非常に雑な扱いでつらつら。

ファンアートはどぶろくだなあとぼんやり思いまして。


最近、「転載やめましょう!」「通報しましょう!」 系の呼び掛けを目にすることが増えてきまして。
それ自体はすごく良いことだと思うんですよ。 だってイリーガルなことではあるし。 権利者たちのお目こぼしをいただいているだけであって、 言われたらそりゃ悪いことやってるのは転載してる方ですし。


でもそうやって叫んでる人がファンアートを容認している( リツイートやイイねをしている、あるいは自分がつくっている) のは非常に違和感があるわけです。
「うるせえ」と言われそうなことからいけば、事務所がこう言ってるわけで。

 

https://www.johnnys-web.com/s/jwb/faq/10007_1?ima=4333

 

まあ画像とか音源とかその他タレントが写ってるものだったり、とにかくタレントが関わってるもので著作権違反するなと。
で、

所属アーティストのイラストの掲載等もご遠慮いただいております。

ってあるんですよね。「ご遠慮」って婉曲な書き方はしているけれど、はっきり事務所は「イラスト等(≒ファンアート)はやめろ」って言っている。


でもファンアートに突っ込みを入れるのは、よほど妄想じみているものに対してしか私は見たことがないです。


あれ?
転載の禁止を叫ぶなら、ファンアートも違反だよね?
ともやつくことが多くて。


ああこれ多分どぶろくの話だなあ、と思った。
自家醸造の酒が禁止されたのが明治。でもそれまで家で酒つくってたんだから、いきなり規制されるのはおかしくない?って密造されてたり、どぶろくの自由を求めて裁判がされたり。


ファンアートはどぶろく作りと一緒だなあと思うのは、一番はこれ。
「個人で楽しんでるんだから、描いてSNSにあげるのはOKでしょ。」


でもそのあとにこう続くんじゃない?って穿っている。
「私の描いたものに共感してくれる人もいるし。みんなだってここ(パフォーマンスだったり仕草だったり、)好きでしょ?   それに私以外にも描いてる人もいるじゃん。」
"個人で楽しむ"のに"みんな"が出てきちゃってないですか、って。

 


これ、私、日本的な「ウチとソト」「ハレとケとケガレ」も関わってくるのかな。って思ってます。

ハレとケとケガレはこのリンク先のブログでシンプルにまとまっているので、ぺたり。

 

nisinojinnjya.hatenablog.com

 

例えば誰かがミュージカルに出るとか、ドラマに出るとかは、発表されたら私たちは「晴れがましい」ことだとか「晴れの場」に彼らが出るって思う。主題歌になるとか、権利の厳しい作品に参加させてもらうとかも。

で、それを受けて「転載やめましょう」を言うのは、「晴れの場を汚してはならない!」という意識。より良い体験として、彼らの「晴れの場」をもっとこの先にもつくりたいという願い。

 

その「ハレ」(晴・非日常)は、いざドラマの放映が始まったら、いざミュージカルの公演期間になったら、「ケガレ」状態にある私たちに活力を与え、「ケ」(褻・日常)を過ごすエネルギーに変換される。

(※リンクに飛んでれば誤解ないと思うのですが、「ケガレ」は穢れではなく「気(≒霊力)・枯れ」です念のため)

そして「ケ」にいる私たちは、そこで得たエネルギーを使ってさまざまに思考したり、絵を描いたり、それを発表したりする。

また「ケ」を過ごしてエネルギーの枯渇した私たちは「ハレ」によって「ケガレ」の状態から脱していく。

そして「ケ」に「ハレ」の空間で得たものを持って帰ってきて、それを飾るのが転載だとかファンアートなんじゃないかなあと考えたりするのです。

 

また、「ウチとソト」でいくと、敬語の扱いが正に、と腑に落ちました。

現代の人の意識には、自分が所属しておらず疎遠であるソトと、家族や職場など親密であるウチの二項が存在していて、ソトにいる相手の領域を侵犯しない距離をあらわすために敬語が用いられている。

hirosaki.repo.nii.ac.jp

 

SNSで転載・ファンアートの掲載をするのは、「ウチ」の意識が強いのではないか。

転載の禁止を呼び掛けるもので多く見るのは、「関係各位にご迷惑がかからないように」と、「これで迷惑をかけたら、次のしごとがなくなるかもしれないから」。

前者はソトへの配慮で、後者はウチの利益。

 

転載は内輪受けのように行われてて、ファンアートはまさに内輪のためにつくられてて、どっちも「ウチ」のためのものなんだよね。

「私の描いたものに共感してくれる人もいるし。みんなだってここ(パフォーマンスだったり仕草だったり、)好きでしょ?   それに私以外にも描いてる人もいるじゃん。」はまさしくそうだと思ってる。

 

最初にファンアートはどぶろくって書いたけど、どっちも結局どぶろくであって、どっちのどぶろくがより違法性が高いかを競ってるようなもんなのじゃないの、と思ったのがとりあえず今日の結論です。