Lifetimeの京ジェに思いを馳せた。
このブログを見ている方へ。
ご覧いただきありがとうございます。
LifetimeのMV感想を、ジェシーくんと大我さんのはなしに終始して書いてる記事です。
ふたりとも元来、内に没入するタイプだということを念頭に置いてLifetimeを見た時、ああこの人たちは何て強いのだろう、と思いました。
ジェシーくんが鏡だとおもったはなし
物語のはじめから終わりまで、唯一そのポジションから動かないジェシーくん。
あーこの人が要なんだな、と思ったし、なんか。
超、拝みたい。
神々しいんですよ。唯一絶対の存在としてそこにある神様みたいな。
で、MVのテーマのはなしを読んで。
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— SixTONES_6thanniv (@SixTONES_6anniv) 2021年5月19日
🎵#SixTONES_STory
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スタッフからのエピソードをお届け!
今日は #Lifetime_STory です
▼「Lifetime」https://t.co/hSVhyw0u6a pic.twitter.com/9WnNeLH1oA
人智を超えた神の恵み、そしてその恵みを前提に他者の幸せを祈り喜ぶこと。
人生を歌い上げるこの曲において、「祝福」という意味を与えたMV。そして彼らに差す光。
あー、ジェシーくんはこの「祝福」を映す鏡なんだなあ。と思ったのです。
鏡。姿を確かめるためのもの。
そして、そこから、その時々のSixTONESの姿を写す存在として、ジェシーくんがそこにいるのだと思ったのです。
はじめのソロ、教会に一人で佇むジェシーくん。
うつむき加減に始まり、徐々に光差す上方を向く。そしてカメラの方に顔を向けるが、伏し目で、口角は上がらない。ソロが終わるまで、表情はこのどこか寂しげなもののままだ。
しかし、うたの最後のソロでは、ジェシーくんの顔が上向いたのを照らしてみせるように光があたる。そこにある光を見つめながら歌い、そして微笑する。
足取り確かにフレームアウトしていく。
同じ歌詞でもここまで印象が異なるものか。
ああ、ジェシーくんの表現力たるや。
そこに、ここまでのSixTONESの道のりを見た気がしました。
バカレアが終わって散り散りになり、再結成までの長い、「一緒にやりたい」と声をかけるまでの時間。
最初のソロは、SixTONESに話しかけているようにも、そして自分自身に「怖がらないで」と言っているようにも見えました。
この6人なら出来る。やりたい。大丈夫って。
私は残念ながら、彼らの若い頃を知りません。でも、シャイでおとなしい少年。それがジェシーくんだといろんな人が語っているのを見て、少しずつ集めている過去の雑誌の、すこし緊張気味な面持ちのジェシーくんを見て、ああ確かにシャイなんだろう、と感じます。
今でもその奥底は変わらないのだろうと感じる瞬間があります。誰かの(私が京本担だからか、とくに大我さんの)発言に同調するような発言が見られるとき。
シャイだからこそ相手をよく見ていて、同調するときにはオーバーなほどの反応を見せたり、そうでなくとも、前のめりになったり。
とかく、内気な人間は、相手がどう思うか考えて尻込みしがちだと思います。
でも彼は、SixTONESの面々に声をかけた。
「君たちと同じ道のりを歩みたい」と、きちんと伝えるために。
SixTONES「Lifetime」MVを監督しました。
— 加藤ヒデジン / 映像D (@hidejin_0) 2021年5月18日
一筋の光が祝福に変わってメンバーを照らすときアイドルの前に一人の人間として歌ってほしいと彼らに伝えました。人生を謳う楽曲が彼らにとって少しでも糧になればいいと思っています。
ご覧ください。https://t.co/jBLC2zlYlH
「アイドルの前に一人の人間として」と監督が明言されています。
でも、彼らは既に人生のほとんどをアイドルとして生きている。彼らの人格からアイドルは切り離せません。
だからきっとそう告げられたジェシーくんは、ここまでの道のりを振り返り、辿っていくように歌詞を紡ぐ。
結成までの道のり。結成から、この6人と僅かなファンだけだった時期。そしてデビューまでの長い時間。デビューしてからこのMVを撮るまでの日。
光差す未来。
ジェシーくんが歩むのは、team SixTONESとともに進む未来。
そこまで一歩も動かなかった彼が最後に歩みだすのも象徴的だな、と思ったのです。
そこまでのジェシーくんは、長い道のりを映しだしていた。ここからのジェシーくんは、人に映し出される存在になるんだなあって。
(もちろん映像に、雑誌に、ライブにと様々な人の目に映される存在ではもともとあるものの)
特に不動であった、鏡のように感じたジェシーくんに、一番にそんな感覚を持ちました。
光を胸に抱き込む大我さんのはなし
ジェシーくんが鏡のような存在であるならば、大我さんは人間の感情という壊れ物を抱き締める存在だと思いました。
眉を寄せて、己の手の方に視線を向けながら歌い始める大我さん。その手はやがてぎゅっと握られ、胸元に寄せられる。
掴んだものを離すまいという意志が見えるけれど、それは強い握り方ではない。
むしろ壊れ物をそっと包み込んで、祈るように優しくその懐に引き寄せているように見えます。
思えば大我さんの胸に握りこんだ手を抱き込む仕草、バラードで良く見るように感じます。
もう一度このツイートを張るのですが、
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— SixTONES_6thanniv (@SixTONES_6anniv) 2021年5月19日
🎵#SixTONES_STory
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今日は #Lifetime_STory です
▼「Lifetime」https://t.co/hSVhyw0u6a pic.twitter.com/9WnNeLH1oA
大我さんに関しては、「生きづらい世の中だから、SixTONESとファンどちらか一方に消費されるのではなく、相互方向のMVを作りました。」というところに意識が行きました。
双方向のコミュニケーションは、なかなか厄介なものだと思うのです。
相手が何を求めているか真摯に考え、返す。それが人からずれていればあっという間に「空気の読めない人」です。
でも、空気なんて所属しているコミュニティで変わる。あるコミュニティでは通じたものが、あるコミュニティではまったく意味を為さない。
そして大我さんは、その「空気」というものを敏感に察知せざるを得なかった人だと思っています。
芸能2世、お坊っちゃま、不思議ちゃん。
そのことばが彼に与えた影響はどれほどだろうと思うことがあります。
浴びせられた声に、自分の深部に潜り込むしかないときもきっとあっただろうと。
だからこそこんなに「一人の人間として」この歌を歌う大我さんは苦しげなのだろうと思います。
光差す方向はうすぼんやりと見えている。けれど掴めない。
『癒えない』の歌詞まで思い出しました。
「曖昧な空の下」にあって、「光は何処だ?」と惑う人。
光を求めているのに、僅かにしか見えない。ようやく見えた僅かな光を、脆い素材の細工のように大事に抱き込む。
SixTONESを祝福するファンを抱き締めると同時に、彼を求めてくれたSixTONESという存在を守るためにそっと胸元にしまいこんだのだと感じました。
まとめ
ジェシーくんも大我さんも、人の感情に極めて敏感な人ではあるのだけれど、根底には「SixTONESでありたい」という意志が見えて、ああ、強いなあ、と思います。
SixTONESのセンターの二人がふたりとも繊細で、人の心の機微をよく察知している。
ふたりとも元来、内に入っていく性格だと思うのです。
その自分を受け入れ、光の祝福を浴び、恵みを感受する姿に、呆然としました。
ジェシーくんの静かな受け入れ方と、大我さんの苦しげながらも手を伸ばす受け入れ方。
ああ、違うけど似ている。だからこのふたりをつい対照して観てしまうんだと。
そして彼らがピースのように嵌まるのもきっとここに根源があるのだと。
うつくしい光景が見られてとても幸せです。京ジェだけではなく、SixTONESにより多くの祝福が降り注げばいいと願います。
このやさしくて強い、そして慈しむべき存在に恵みを。
毎日SixTONESのことを好きになってく。
私の人生の祝福は、彼らの軌跡をこれからもずっと見ていくことができることのような気がしています。