Pray through music

すとーんずにはまった元バンギャの雑記。

音楽は祈り、宣言。

「音楽って、何ですか?」

そう尋ねられたら、何て答えるのが正解なんだろうか?
集団でつくるもの。音そのもののこと。和歌や古い叙情詩。理論で成り立っている、数学の一部。楽しむもの。

人によって色々出てくると思う。

私にとって音楽は祈り、そして自分を規定するものと言いたい。

好きな音楽の共通項はなんだろう。と思った際、「祈り」「宣言」この2つが出てきた。
SixTONESとビジュアル系好きの戯言をぽつりぽつりと呟きたい。

上司と今後の話をするなかで、メガマソ涼平さんとSixTONES京本さんのことをふと思った。

京本さんは雑誌のインタビューで
「夢)自分の世界観を守り続ける」
「10年後の自分へ)己の心に潜む、数え切れぬ弱さと向き合い、どうか強く生き続けてください」と答えているのが印象に残っている。

涼平さんはいくつもの曲で音楽への決意を表明する人で、
メガマソの始まりの曲『涙猫』では並の人を「己の才覚に限界を感じている人」「安穏に逃げる人」と綴る。
でもそういう自分を切り捨てずに、「怖いのなら目を瞑って手を伸ばせばいい」と
並の人にできる解決を示して、前に向かおうとする。

私はそういう人たちになりたいんだなあ、とたまに思う。

私が音楽に救いを求めるのは、自分がどうありたいのかというところにあるのかなと思う。
私の好きな音楽をやっている人たちは、みんな弱い自分を認めてて、そのうえでどう足掻くかということを考えている。

(もちろん作品と人間は切り分けて考えるべきだけれど、私はたぶん文学の検討の仕方で音楽を享受しているので、
彼らの音楽と彼らの人間性〈そこに立ち現れる言葉〉をイコンとして受け取っている。)

京本さんは一度は舞台を恐れて投げ出してしまった過去を持ってたりして、
本当はきっとメンタルが強くなかったのに、今はそれと戦って地に足をつけてエンタテインメントを見せてくれる、私にとって崇拝の意味でのアイドルで、
涼平さんは何度も何度も音楽への決意を言語にして、音に乗せて奮い立たせてくれる存在。涙猫のほかにも、多くの曲で音楽への想いを綴る。


日々のなかで見失うものこそ、何者かになりたいという祈りであり、自分を貫く意志。だからこそ私は何度もその気持ちを宣言しなおしたいし、言語にしていく彼らが好きなのだ、と思う。