私が泣いてしまった本のはなし
良い本を読んだと思ったから、感想を記録しておきたい。
泣いちゃうから読みきるのが辛かったこの本をようやく2周め読み終わった。自分がことばを好きだって気持ちを、自分がことばと向き合うんだって気持ちをちゃんと抱き締めて生きていたいな。 https://t.co/fhABCsas6c
— 軟骨(しお) (@honne_pesca_st) 2021年6月25日
教科書と規定されている本を読んで、泣くことはあるだろうか。
私はこの5月にはじめて泣いた。
古賀史健さんの『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』(ダイヤモンド社)を読んで泣いてしまった。
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一気に読むつもりで、本を開いた。
134ページで、ページを繰る手が止まってしまった。
それより前のページですでに、5月16日の私は耐えられないほどの衝撃を受けていたのだ。
何が衝撃だったのか。
「相手の話を『評価』しない」こと、そこから遡って「『きく』ということばを分解する」こと。
思考の癖として、私は取材者になり得ていないと痛感した。
自分は相手の声に耳を傾けているか?
ただ受動的に聞いていたり、否定的に捉えていたりしないか?
相手が話している最中、自分は相対する彼/彼女に対して誠実であるか?
そうした問いに、きちんと正面から「自分は誠実に向き合っている」と言いきれる自分ではなかったのだ。
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あなたはなぜ、面接の場で緊張してしまうのか?
どうして面接官の前に出ると、自由に振る舞えないのか?
答えは簡単だ。自分の一挙手一投足が「評価」の対象になっているからである。〈中略〉
取材に臨むライターは、面接官ではないし、裁判官でもなければ取調室の警官でもない。あえてたとえるなら、接見中の弁護人だ。つまり、「世界中を敵に回してでも、わたしだけはあなたの味方につく」を前提とする人間だ。そうでなければ、相手はこころを開いてくれない。面接試験の就活生と同じように、模範回答をくり返すだけである。
古賀さんは、このすぐ後に「評価とはいつも、『上から下』に向かってなされるものだ。」と言っている。
つまり、相手に向かって何か評価することばを使う限り、私は相手と同じ地平に立つことはできないのだ。
それはそうだ。相手をまるで無機な商品のように値踏みしているのは、ことばや、ことばの周辺に漂っている空気で相手に伝わってしまう。
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ふっと、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ということばを思い出した。
尊敬している上司がいる。何がこの上司に好感を持たせているのかと、眺めてみたことがある。
驕らず、自分より遥かに若い後輩や部下にも敬意を持って相手に対応しているのがわかった。たまに冗談を言われるものの、相手が何に関心を持っているのか、しごとにおいて何を成し遂げたいのか考えたうえで話をしてくれる。
もちろん、自分にとって不得手だと感じるしごとを与えられることもある。しかし、それまでに上司のもとで取り組んだしごとと並べたとき、すべてに関連性が見えてくる。
【伝える】ということだ。例えば文章を書くこと。例えばパンフレットのレイアウトを考え実際につくりはじめること。例えばどんなイメージの表紙にするか決定すること。
すべて【伝える】ことに収斂していく。
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私は人と話すのが得意ではない。人前に立つのも苦手だ。
恐らく、ずっと「自分が伝わらない」という思いを抱いていたからだ。
中学生のころ、私の書いた読書感想文が、学校代表に選ばれたことがある。私が考えた感想文のタイトルは、私になんの報告もなしに、先生のつけたタイトルに変更されていた。
その感想文は学校代表から市町村の代表に選ばれ、県の選考対象にまでなった。段階がひとつ先に行く度、きちんと自分の文章を読んでくれる人がいる喜びと、自分が書いたものではない拒絶反応がない交ぜになっていった。
県で佳作にしかならなかったとき、ようやく解放されたような気がした。
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今思えば、私は自分の文章に対して「敬意」を払ってもらえなかったことに、ずっと傷ついていたのだろう。
そして、大人になった今、自分も同じことを後輩にしているかもしれないと気づいてしまった。「なんでこういう風になるのか」と、相手の状況を踏まえずに評価してしまっていた。
この本を読んだことで気づかされてしまった。
あのころの私を傷つけた先生に、私が成り代わってしまっている。
自分は相対している彼/彼女に常に誠実であるか。無自覚に評価を下していないか。
評価は人にするものではなくて、無人格のものにするものだ。
私がしなくてはいけないのは、まず対話だ。
相手を評価するのではなく、絶えず自分の在り方を見つめること。
そこからすべてが始まる。
泣いたことで、スタートラインに立つ準備がやっとできたのだと思う。
中学生のころの私に絆創膏を貼って、今日の私を階段から下ろして、目の前にいる相手を両目で捉えてことばを聴く。
きっとできる。
だってこんなに良い本を読んだのだから。