「うやむや」再解釈。ー「アトリエの前で」を受けて②
https://ongakubun.com/posts/7151
以前、音楽文に上記の「うやむや」解釈を載せました。
でも「アトリエの前で」を読んでたら、ちがう解釈があたまをもたげてきて。
再解釈、載せます。
私も批判されてる人間だって思いながら。
前回のブログに続いて。
(前回のブログは下記を読んでもらえれば。)
https://honne-ossopera.hatenablog.com/entry/2021/04/21/012048
私は、音楽文に投稿した文章では「うやむや」の語り手を神と呼びました。
ちがうのかも。神じゃない。アイドルが、語ってるのかも。
"真っ暗に光るは太陽
はつまりアイツは最高
なんてことじゃないのさ相棒
されどお近くへ"
真っ暗に光る太陽=アイツ=アイドル。
相棒=ファン。
この関係で話を進めたいのです。
"あなどれない妄想"でもってアイドルを捉えて、
"語彙力ないのにつぶやき""自己満 show"を繰り広げる人物。
その人物の発信を受けて、アイドルは振り回される。そんな様子を見て、つぎはどんな情報を仕入れて、いつどうやって発信しようか?と考える。
"味をしめたやつのカルマ
未来永劫 グルグルグル"
ここはそのままとろうと思っています。
自分が情報を得てること、それを情報の海に流していくことに味をしめた人物は、またぐるぐる、同じことをやる。
"遮る愛は捨てちまえなんて
思っても言えない武士道よ
うだうだくちゃくちゃ物申そう"
ここの解釈はまだ迷っていて。
「遮る愛は捨てちまえ」と思うのが誰か。
"愛"については、大辞泉の「愛」の解説の1つ、「個人的な感情を超越した、幸せを願う深く温かい心。」をとりたい。
自分勝手に相手を求めるのではなく、ただ相手の幸せをひたすらに願うだけの心。
それを遮断して、捨てて、うだうだと情報を垂れ流しつづける人物。
"トラウマだらけで針千本
未知数だらけの俺らの説明
gsdhiaofjisabcvlkghjhb"
そのせいで、意味がないことばの羅列のせいでトラウマを植え付けられたアイドル。
この「未知数」は何でもよいと思っていて。
彼らの可能性の無限さでも、彼らを脅かす情報の多さでも。はたまた傷つけられてきたアイドルの数でも。(勿論アイドル以外で、いろんな情報に傷つけられてきた人でも)
でもどちらかと言えば、直後に意味のない文字の羅列がくるのだから、彼らを脅かす情報の多さでとりたい。
嘘も本当のことも入り交じって、彼らを知らない人に、意図しないイメージを与えてしまう意味のないことばの羅列。
アイドルは、その意味のないことばの羅列ではなくて、自分たちの紡いだことばや歌やパフォーマンスで魅せたい。
"不朽の名作誕生
そんなことはどうでもいいの
千を語るより I must go
脱走 うやむやで"
インターネット上に蔓延る情報が、彼らのイメージになっていく。"不朽の"情報として残ってしまう。
どうでもいい情報が彼らを絡めとろうとする。そこでことばを尽くしても、そうした情報を選んで信じる人には届かない。だから「うやむや」にしておいて、その情報の海から脱走しなくてはならない。
この「不朽の名作~」の前、意味のない文字列のあとには、冒頭のフレーズが入っている。
つまり、ここはファンに語りかけている場面。
"相棒"、つまりファンに向かって、自分たちは作られたイメージの存在ではないと伝えて、そのうえで"されどお近くへ"と述べる。
なぜアイドルとファンが近寄る必要があるのか。それは、毀誉褒貶さまざまな情報が行き交う世界から抜け出してほしいから。
勿論物理的に近づくなんてことではなくて、在り方として。
"抽象的でもどうぞ
愛され上手に憂さ晴らし
検索するほど綻びます
ズルズルブルブル蟻地獄"
これは公表されていない情報を言っているのではないかと思っています。
情報をもっていることを抽象的に匂わせておく。その情報を小出し小出しにしていくことで、情報を求める人に自分が求められているような高揚感。
そして小出しにした情報は検索され続けて、アイドルが見せまいとしたものがどんどん見える状態へとほころんでいく。
蟻地獄は、一度アリが足を踏み入れたらもう抜け出すことができない場所。
"茹だる夜は踊るサルサ"
茹だる夜=寝付けない夜。なぜサルサを踊るのか。"サルサ"の語源は、食べ物のサルサソース。さまざまな材料を混ぜ合わせてできたサルサソースのように、さまざまな音楽の要素が交じりあいできています。
色んな人が発信した情報が、サルサのように入り交じっている。
勿論、サルサの音楽のイメージもあるでしょう。茹だる夜に踊るのにぴったり。おなじ3文字でもワルツを踊られたら、なんだか優雅になってしまうし、その夜は茹だるような寝付けない夜ではない。たぶん。
で、そんな夜に「モンスター」は誰かの愛に溺れそうになる。蟻地獄のイメージが重なってくる。
"誰かの愛に溺れそうなモンスター
笑っても泣いても飛花落葉
ウジウジ三日くらいどうぞ
洞穴から見た闇上等
屁理屈 妬みはこの際ここらで
hgfvsfhiuahspgdhfdhgfd"
誰の愛に溺れそうなのか?
情報を垂れ流す人物の歪んだ愛。うそか本当かもわからない情報に落ち込んだり、情報を得たことを喜んだり、どう思っても「飛花落葉」、時間は過ぎていく。
洞穴、薄暗いところから情報を見る。
そんなくだらない情報を意味のない文字列だ、とまた認識させる。
"真っ新にはるばる来訪
はつまりアイツさ 感動
的なこと言えない細胞
されどお近くへ"
そんな中に、アイドルが公式な情報をもたらす。情報の波のなかで誤ったものを選ぶ人の心にはもしかしたら響かないかもしれない。でもファンにはわかってほしい。
"不毛な議論を一聴
そんなことはどうでもいいの
小を語るより I must go
感情 うやむやで"
(ほんとうは傷ついたり、思うことはたくさんあるだろうけど)
そんなつまらない情報は聴くに値しない。
それに惑わされていることもくだらない。
だからその情報たちに煽動される人の感情はうやむやにして、受け取らない状況にしておく。
"点は繋がれて海超え
山超え蔓延る人波乗り超えて
いじける間もなくここから始まる
嬉し涙なぞまだ早い"
そうして情報の海を乗り越えてきた先ですべては始まる。心惑わされている時間なんてない。
"踏んだり蹴ったりげっそり企み
悪路に咲かすは水たまり
リスクは大好きいつまでたっても
嫌になるのも絵になる"
人々に振り回されてきて疲れたし、決して良い道だとは言えなかった。
でもそのなかでも自分たちの道を切り開いて、リスクを負ってるけど、それさえ踏み台にして、良いパフォーマンスを提供する。生きざまを見せる。
"真っ暗に光るは太陽
はつまりアイツは最高
なんてことじゃないのさ相棒
されどお近くへ
不朽の名作誕生
そんなことはどうでもいいの
千を語るより I must go
脱走 うやむやで"
最後にこのフレーズが2回歌われます。
自分たちは色んな人の思惑に振り回されているし、きっと情報過多ないまの時代、これからもそうだろう。
でも、自分たちのありのまま、自分たちが魅せたい姿を受け入れてついてきてくれるファンがいる。
自分たちの見せたい姿だけを信じて、ファンにもついてきてほしい。
この曲って、この時代のアイドルとファンの在り方を歌った曲なんだと思いました。
こんな時代だけど、だからこそ、自分たちをきちんと見て、正しい情報だけを選んで、そのうえで着いてきてほしい。
私はSixTONESが求めるファンの形になれているかわからないけど、でもあなたたちをお腹を満たすためだけのエサにしたくない。
情報との向き合いかたをずっと考えて、あなたたちが見せたいうつくしい世界に着いていく所存です。